2012/12月

入り口

S/S(春夏という意味)展示会は終わりました。

と言ってももう一ヶ月くらい前に、ですが。

12月と世の中の寒さで展示会について思い出す事は、ほとんど,,,ない。

そんなアトリエですが、この子が残っている。猫、多分。確認はしておりません。

展示会に様子を見に来てくれた鷹見くんというドローイングアーチストの猫。

鷹見くんのイラストはとても好きです。

ノートの片隅に書く、そんな印象の絵。

集中しているとき、もしくはしなければいけない時に

脳みそをリラックスさせる目的で手が勝手に描き出す絵のように思う。

だから線は鉛筆やペン。そういう絵がぼくは好きです。

なんか描いて♩ そんな感じで頼んでみたら少し困った顔してしばらく外を眺めていました。

気が付くとすらすらやり始めていた。

もしや扉のむこうでモチーフが横切ったのか?ぼくの角度からはなにもみえないからわからない。

ぼくはとてもうれしいかったしお気に入りです。

作家に不躾なお願いしてしまったなと氏が帰った後に思ったけれど

まぁいいでしょとすぐに思い直す。

クリエーション友達なのだからそれでいいんです。

お金で価値をはかるほうがむずかしい。

いつかぼくのクリエーションでお返しする。

ありがとう鷹見トシボーくん。

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2013 s/s 展示会

www.haradafukushoku.com/

先週のことになりますが、友人の展示会におじゃましました。

ぼくの展示会の準備もおだやかなムードになっておりましたのでゆっくり話が出来ました。

ただ、話に夢中になってしまって、肝心のサンプルについてちゃんと評価というか感想を述べる時間をあまりつくらなかった。

そしてそれを今になって反省してしまう。

賞賛でも批判でもなんでもいいです、服に目を向けて何かを考えている素振りだけでも報われる。

ぼくの展示会も今日から始まりまりました。ちゃんとサンプルを見てもらえなかったらたまったものじゃない。

この数ヶ月サンプル製作の名の下に、その他の責任から逃れていたのでちょっと我が儘になっていたのかも。

ま、今度会ったときにその旨伝えておこう。

 

 

 

 


故障

 故障は、その対象に何らかの問題があるために、機能が発揮できない状態である。

先日わたしのミシンが突然動きを止めました。大人だって持ち上げられないこの鉄の塊が経年劣化で壊れる、そんなわけはない。

折れた針が偶然にもミシンの内部で楔のようになってしまいました。原因は自分のほう,,,

デニムでも革でも貫くミシンが一ミリにもみたない針で身動きがとれなくなる。機能が発揮できない状態です。

仕事にならないので修理しようとおもいましたが、機能は理解していても仕組みまでは何も知りません。

そもそも原因ですら分からなかった位です。

悪戦苦闘の末、折れ針を取り除くことはあきらめ、部品を交換することになりました。

ミシン屋さんに在庫のパーツがあったので購入。あとは取り付ければOK。

ただ、セッティングがむずかしい。コツは教えてもらったのですが、緊張の作業。ほんの少しのブレも影響がでるらしい。

美しいステッチの為に、とても滑らかに動く精緻なマシンなのだということに改めて気付きました。

産業革命の頃からほとんど仕組みが変わっていない。なにが変わるかといえば、使う人。

ミシンをもっと大切に使おうと思う。それは気持ちの問題ではなく、ミシンのポテンシャルを最大に発揮させることが出来るはずだ、ということです。

それは間違いなくサンプルの質も上げてくれるでしょう。

ぼくに何らかの問題があるために、機能が発揮できないのはイヤですねもの♩

 

 

 

 

 

 


釦 (ボ タ ン)

製作の最後は釦付けです。

作図、パターン、生地選び、縫製という流れの最後の喜びの作業,,,?

どうしてもこれが、悩みになるときがある。

釦はデザインの一部なのか、留め具として機能していればいいのか。もちろん両方ということでしょう。

ですから生地同様に選ばなければなりません。大抵は最後に。

ただ、生地と違って釦は加工された製品です。素材ではない。

デザインにあう理想的な釦というのは、なかなか無いものなのです。

しばしば釦なしの服をつくる理由のひとつでもあります。

小さくともしっかり主張しますからね、釦は。

ぼくは水牛の角でつくられた釦をよく使います。部位によって様々な色や模様がある。

生地だって獣毛や植物などからつくられているので、相性が良いのではないでしょうか。

服をみるときに、釦をみてみるのも面白いとおもいます。けっこうこだわりの釦を使っているかも?です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


皮 膚

ネパールのハニーハンター

とても格好が良い、素敵。

これは服というのだろうか? 布を纏っている。

衣服というものは、第二の皮膚と形容されることがしばしばあります。

はじめて耳にしたとしても、大抵はなるほどとなるでしょう。

人は文明とともに公衆の面前では常になにかしらを身に纏うようになりましたから、人目に触れる衣服は、皮膚と呼んでもいいでしょう。

ただ、ぼくは正直にいって、そういう感じで衣服を見れたことがないのかもしれません。

皮膚って心の琴線に触れる、温もりや潤いやしなやかさがあるから。

そんな服、ほんとうにあるのだろうか? 作り出せるものなのだろうか?

ありましたね、ネパールのジャングルに。

ぼくはここから何かを学ばなければいけませんね…

 

 

 

 

 

 

 


安らぐ

 

きれいな服となるよう、細かな課題をひとつひとつこなしていく。

あとで気がつくことがあっても、もうそこには戻れません。ひとつも見落としたくない。

一着の服と成るころには、そんな思い出がたくさん詰まった立体になってしまいます。

ここをこうすれば、生地へのダメージは、いろいろなことが頭をよぎる。あまり直視できない。

けれど、出来上がったサンプルをラックにかける時、ふと袖のカーブに目が留まり、

ウールの柔らかさと曲面の柔らかさに心が安らぐ。

そういう服に出会えるとうれしい。

 

 

 

 

 

 

 


繕(つくろ)う

4月3日ただいま春の嵐ですね。

ただ、もう”春の”なのだ。

つまり、ふわふわwoolのセーターは季節はずれになってしまいます。まだ寒いですが。

友人の古着屋さんで買ったこの赤いセーターもそろそろしまう時期。

ということで、修繕をしました。

割と大きな穴が空いていたのですが、それはそれとして格好よかったので、

穴の開いたままで楽しんでいます。

でも衣替えのときには綺麗にしてから保管しようということで、修繕します。

このような仕事をわりと長い間やっていたものですから、さらりとやってしまう。

 

日本語の意味としての違いは解りませんが、

穴を塞ぐ、という作業と、繕うという作業は少し違うと思う。僕はそう思いながらやっていました。

最初はぼくも穴を塞ごう、と思って懸命に隙間を塞いでいました。

でも穴は塞がったけれど、穴が開いていたのは、はっきりわかる。不自然。むしろ穴だった時のほうが自然。

 

穴は塞げばそこから何かが飛び出すようなことはありません。

ようするにポケット袋布のほつれなど、機能として致命的な穴は、塞ぐ。

袖や身頃の穴はデザインとして目立たないように繕う、という違いですね。

 

作業に集中する、というのは何事においても大切です。でもその対象物と、それを手にとる人にとって

なにが大切か?ということはもっと大切なこと。

自然も不自然も、こういうことを理解せずに、”デザイン”としてしまうのはいかがなものか。

 

また来シーズンこのセーターを手にしたときに、僕自身この修繕をどう思うだろう。