故障

 故障は、その対象に何らかの問題があるために、機能が発揮できない状態である。

先日わたしのミシンが突然動きを止めました。大人だって持ち上げられないこの鉄の塊が経年劣化で壊れる、そんなわけはない。

折れた針が偶然にもミシンの内部で楔のようになってしまいました。原因は自分のほう,,,

デニムでも革でも貫くミシンが一ミリにもみたない針で身動きがとれなくなる。機能が発揮できない状態です。

仕事にならないので修理しようとおもいましたが、機能は理解していても仕組みまでは何も知りません。

そもそも原因ですら分からなかった位です。

悪戦苦闘の末、折れ針を取り除くことはあきらめ、部品を交換することになりました。

ミシン屋さんに在庫のパーツがあったので購入。あとは取り付ければOK。

ただ、セッティングがむずかしい。コツは教えてもらったのですが、緊張の作業。ほんの少しのブレも影響がでるらしい。

美しいステッチの為に、とても滑らかに動く精緻なマシンなのだということに改めて気付きました。

産業革命の頃からほとんど仕組みが変わっていない。なにが変わるかといえば、使う人。

ミシンをもっと大切に使おうと思う。それは気持ちの問題ではなく、ミシンのポテンシャルを最大に発揮させることが出来るはずだ、ということです。

それは間違いなくサンプルの質も上げてくれるでしょう。

ぼくに何らかの問題があるために、機能が発揮できないのはイヤですねもの♩

 

 

 

 

 

 


研ぐ

年末にお願いしていたものが仕上がりました。鋏の研ぎと噛み合わせの微調整です。

梱包からといて、何度かチョキチョキと空でやってみる。チョキチョキ、そんな擬音ではない。

例えようもない音。そして感触。研ぎ澄まされた金属の刃がこすれ合う。まさに一点の淀みもなく滑らかに。

少し鳥肌が立つ。侍ってこうだったのだろうか。なにか切ってみたい衝動にかられます。

変な意味ではなく、好奇心からです。鋏だけではなく、すばらしい物というのはすべてそうでしょう。

しなやかだけど固い鋼。ひたすら繰り返した手仕事。ぼくの好きな世界。

そういった空気感をクリエーションしたい。

今はまだまだ。それまでは繰り返し繰り返し、、、、、繰り返し続けます。

それが研ぐということなのかな。

 

 

 

 

 

 


聞いたほうがいい

デザインする、ということ、それは私にとってはサンプルを作るということ。

もう少し広げると、なにかを作っているときに閃いたりするアイデアのこと。

こういうデザインの服にしようかなと思ったら、まず必要な資材を用意する。

当然道具類も必要になります。使った事のないものは、見よう見まねでとりあえずやってみる。

あくまでサンプルなので、品質に関してはその時点では目をつぶって欲しい。まだデザイン最中。

仕上がりはというと、悪くはないけれど、あんな服やこんな服と仕上がりがちょっと違うかなと感じる。

慣れればもっと良くなるのかも、などと考えつつ、サンプル作りは続きます。

資材が足りなくなったので購入しに行く。

大抵は自分で探すのですが、スタッフの方にお願いしました。そのときに話の流れで道具の使い方になりました。

なるほど、ちょっと使い方とか、パーツとか違っていたのですね。だからか。

いままで色々なデザインが無駄にボツになっていたのね、、、、反省。

 


群島

アーキペラゴ、はじめて聞く言葉。何語なのかわからない響き

Archipelago:群島 という意味の英語でした。

青山のギャラリーにて、Satoko Sai + Tomoko Kurahara Year’s Plate 2012 『アーキペラゴ』にお邪魔しました。

詳しくは          http://saikurahara.com/

 

一点一点余白やモチーフのバランスが異なっていて、お皿に個性がある。

シルクスクリーンで絵付けされています。僕の仕事でも同じ手法を用いるので、そんな話でも参考になります。

シルクスクリーンというのは版画みたいなものなので、基本的には大量にプリントする場合に用いる。

だから仕上がりもそういう製品みたいになりがちなのですが、二人の作品からそんな雰囲気を感じない。

やはり手作業というのは作品に魂みたいなものがはいるのかな?

微妙なぶれや、かすれが、むしろ作家の緊張感や息づかいや人間性までも伝えてくれる気がする。

だから好きなものは、作家も作品もどちらも好き。勝手な判断だけれど。

展覧会などで作家さん達と話す機会がとても多いので、そんな考察になるのでしょう。

ぼくも作業をする側の人間なので、彼らとの会話はまた違った話が出来るのです。

そして作家の、ちょっとだけ他のものよりストーリーのある物を持ち帰る。

貰うわけではないですよ。

 

 

 


気がついたこと

寒くなってくると、いろいろなことに意欲が湧かなくなります。そんな季節の変わり目を過ごしている。

 

そんななか、お向かいさんが大きな柿を三つお裾分けして下さいました。寒くなってくると林檎や柿がおいしい季節という特典がありましたね。

あまりにも大きくて立派な柿だったので、しばらくお店に飾っておくとしよう。

白っぽく粉をふいている。これも寒さのサインか、つまりは糖度の印。きっとおいしい。でもまだディスプレイ。

 

造形に興味がわくと観察したくなるので、手に取っていろいろ眺めていると、粉がとれて光りだす。

光沢があるのだけれど、微妙な凹凸のためか、柔らかい輝き。

そして自分の好みと、過去の記憶がリンクしました。

それは陶磁器のことなのですが、柿の肌のような仕上がりのものに目が止まっていた事に気がつきました。

色、というよりも、やはり表面の質感。

さらにその好みのルーツとなった過去の記憶、それは上野の美術館で見た、茶道具の茶入というもの。

(茶入とは茶道具の一種。濃茶を入れて点前に用いる陶製の小壷。象牙の蓋がついている)

9cm位の大きさで、なんだか柿みたいだな、と思った。蓋がへたみたいな雰囲気だったので尚更です。

でもなにやら迫力があったので、360度ぐるぐると何十分も眺めていた。でも飽きませんでした。

これが銘『初花』そして『新田』

国宝を柿みたいだな、と連想するのはどうなんだろう。

でも美というものは、それだけ日常に溢れている、ということなのでしょう。

 

 

 

 

 


コンクリートに青みがかった白磁と黄桃

黄桃がたくさん届きました。収穫まもないのでしょう、爽やかな歯ごたえで、噛むと音が出そう♩

季節の食べ物をプレゼントしていただける、とても有り難いことです。

旬という贅沢を通して季節を計る、そんな美しい生活をお裾分けしてもらえた感じです。

ではその美しい黄色を表現してみようと思いましたので、これまた頂き物の青みがかった白磁の器(作:五十嵐元次)とともに。

タイトルにもあるように、無彩色のコンクリートと寒色の青とのコントラストで、暖色である黄色をより鮮明に感じられように。

季節は秋。葉っぱが落ちてグレーの梢をさらした山は暖色の紅葉を際立たせていきます。

紅葉を眺めにいきたいなと思う今日このごろ。


反復

これは9㎜厚のビニール。ビニール板といえる。

作業台の上に敷いています。カッターなどを使うため。

元々透明でしたが、何年も使用していると、こんなに切り傷だらけです。

けれどもビニールを持ち上げてみたら意外といい風景でした。

直線や曲線の2㎜位の深さのカッター痕が光を複雑に拡散しています。

同じ線は二つとない。それはそうなのですが、明らかに似たような線が近いところを繰り返し通っていることに気付くのです。

カッターでパターンを切る、という作業で傷がつくのですが、直線はここで切りやすい、とか曲線はこの向きが滑らかに切れるとか、自分に合った体の使い方というのは大体決まっているらしい。

同じ作業を繰り返し反復しているうちに効率の良いラインというものが出来上がるようです。

反復することで最高のエコノミーラインが得られるのでしょう。