締め

ここ数シーズンはメンズらしい服は作っていませんが、急に飛び込んで来た仕事でメンズジャケットを仕立てる。

今年の仕事納めはまだですが、気分的にはこれで締め、のような感じです。

カシミヤ混のウールビーバー。やっぱりこういう素材でジャケットを作るといい気持ちになります。

アイロン作業はどんな生地よりも気を使いますが、丁寧な作業には素直に答えてくれます。

表現したかったラインを、とても滑らかに型出してくれます。生地によっては簡単にかき消されてしまう、作図やパターンメーキングの労が報われる思い。

逆に雑な作業には冷や汗が出るような表情をみせる、、、

ですから今年一年の仕事を振り返るにはとても良い。

以前ある人が、とても美しい服を作るパリのクチュリエは、作業している立ち居振る舞いすら美しかった、と言っていた。

本当にそうだと思う。

真剣に服と向かいあうと背筋が伸びる。細心の注意をはらった作業は、とても柔らかく優雅な動きとなる。

そんなことを考えつつ、まだ今年の仕事は終わらない、、、、


クリスマス

友人からのクリスマスプレゼント。

ぼくからもプレゼントしました。

プレゼントを物色中に、関係のない服や帽子を自分用に買ってしまった。

クリスマス気分だったんだなあ。メリークリスマス


聞いたほうがいい

デザインする、ということ、それは私にとってはサンプルを作るということ。

もう少し広げると、なにかを作っているときに閃いたりするアイデアのこと。

こういうデザインの服にしようかなと思ったら、まず必要な資材を用意する。

当然道具類も必要になります。使った事のないものは、見よう見まねでとりあえずやってみる。

あくまでサンプルなので、品質に関してはその時点では目をつぶって欲しい。まだデザイン最中。

仕上がりはというと、悪くはないけれど、あんな服やこんな服と仕上がりがちょっと違うかなと感じる。

慣れればもっと良くなるのかも、などと考えつつ、サンプル作りは続きます。

資材が足りなくなったので購入しに行く。

大抵は自分で探すのですが、スタッフの方にお願いしました。そのときに話の流れで道具の使い方になりました。

なるほど、ちょっと使い方とか、パーツとか違っていたのですね。だからか。

いままで色々なデザインが無駄にボツになっていたのね、、、、反省。

 


アワの色

takizawa narumiでは、無彩色がほとんどです。

黒、白、グレー、チャコールetc,,,数えるほどしかない。ただ、色の濃さや生地の違いでかなりのバリエーションとなるので、充分間に合います。

とはいえ、色がきらいなわけではありません。なかなかブランドのデザインを表現する色、もしくは色の生地が見つからない。

そんななか、友人から粟餅、いや、粟大福をいただきました。ぼくが好きそうとのことで。

好き。

持った時の重量感、噛みしめたときの弾力、香ばしい香り、すべて申し分ない。おいしい。

とりわけ”色”に反応してしまいます。伝わっているか、 なるべく再現したつもりです。

自然色、ぼくはそういう風にみたくはない。だって茶色とかベージュとか緑とかを連想する色のことですよね。

いつも思いますが自然にはもっと色が溢れていますから。その考察はここでは置いておきますが。

ほんの少しだけ、透明感のある色合い。餅とか釉薬の雰囲気が好きなことにに気がつきました。

そもそも色というのは、物体に反射した光を脳が色として識別しているので、光というのも色の一つととれる。

そして無彩色は明度、つまり明るさで区別されるので、この両者は相性が良いのではないでしょうか。

ま、理屈なんて関係なく、単純に心が動かされる色、というのが一番いいですよね。


年末だから

年末とか、師走とか、年の瀬とか、12月になってから何度言っただろうか。ほとんどが愚痴る時。

時間に追われている。あまり情熱的になれる心境でもないので、益々滞るのです。

忙しい理由と情熱的になれない理由、あります。

ぼくは年末に人に会うと、来年はこれを改善しますとか、これやりますとか言う。

言わないと絶対にやらない。

でもなかなか話が進まないうちに、タイムリミットの年末になりますね。

なんとかしないと、と思っても、一年かけて出来ない事、それはつまり気がすすまないという事。

なのでやる気なんて出る訳はないのです当然。

でも努力しようとは思っています。昨日、親不知を抜きました。

小さい話?それはそうです、年末にお酒を飲みながら来年はパリコレにでる、とか言いません。悪い酒になりそうだ。

引っ越すとか親不知を抜くとか、日曜大工でなにか作るとか、そういうことです。

タイムリミットに間に合わせる為に、上下2本を抜きました。

痛いのがまんするのを一回にしたかったし、1,5倍くらいの痛みで済むでしょと思った。

結局、2倍痛い。。。。薬が切れると夜中に目が覚める。痛ぇ、、としか言いようがない。

もらったパネトーネが親不知に見える程。

 

今年もマニフェストの季節がやって来ました。さてさてどうしようかな?パリコレとか?

やっぱり悪い酒になりそうだ

 


群島

アーキペラゴ、はじめて聞く言葉。何語なのかわからない響き

Archipelago:群島 という意味の英語でした。

青山のギャラリーにて、Satoko Sai + Tomoko Kurahara Year’s Plate 2012 『アーキペラゴ』にお邪魔しました。

詳しくは          http://saikurahara.com/

 

一点一点余白やモチーフのバランスが異なっていて、お皿に個性がある。

シルクスクリーンで絵付けされています。僕の仕事でも同じ手法を用いるので、そんな話でも参考になります。

シルクスクリーンというのは版画みたいなものなので、基本的には大量にプリントする場合に用いる。

だから仕上がりもそういう製品みたいになりがちなのですが、二人の作品からそんな雰囲気を感じない。

やはり手作業というのは作品に魂みたいなものがはいるのかな?

微妙なぶれや、かすれが、むしろ作家の緊張感や息づかいや人間性までも伝えてくれる気がする。

だから好きなものは、作家も作品もどちらも好き。勝手な判断だけれど。

展覧会などで作家さん達と話す機会がとても多いので、そんな考察になるのでしょう。

ぼくも作業をする側の人間なので、彼らとの会話はまた違った話が出来るのです。

そして作家の、ちょっとだけ他のものよりストーリーのある物を持ち帰る。

貰うわけではないですよ。

 

 

 


気がついたこと

寒くなってくると、いろいろなことに意欲が湧かなくなります。そんな季節の変わり目を過ごしている。

 

そんななか、お向かいさんが大きな柿を三つお裾分けして下さいました。寒くなってくると林檎や柿がおいしい季節という特典がありましたね。

あまりにも大きくて立派な柿だったので、しばらくお店に飾っておくとしよう。

白っぽく粉をふいている。これも寒さのサインか、つまりは糖度の印。きっとおいしい。でもまだディスプレイ。

 

造形に興味がわくと観察したくなるので、手に取っていろいろ眺めていると、粉がとれて光りだす。

光沢があるのだけれど、微妙な凹凸のためか、柔らかい輝き。

そして自分の好みと、過去の記憶がリンクしました。

それは陶磁器のことなのですが、柿の肌のような仕上がりのものに目が止まっていた事に気がつきました。

色、というよりも、やはり表面の質感。

さらにその好みのルーツとなった過去の記憶、それは上野の美術館で見た、茶道具の茶入というもの。

(茶入とは茶道具の一種。濃茶を入れて点前に用いる陶製の小壷。象牙の蓋がついている)

9cm位の大きさで、なんだか柿みたいだな、と思った。蓋がへたみたいな雰囲気だったので尚更です。

でもなにやら迫力があったので、360度ぐるぐると何十分も眺めていた。でも飽きませんでした。

これが銘『初花』そして『新田』

国宝を柿みたいだな、と連想するのはどうなんだろう。

でも美というものは、それだけ日常に溢れている、ということなのでしょう。